東京都の最低賃金時給1280円決定(全国平均1500円へ着実に前進)
- #コラム
- #
- #
東京都の最低賃金1280円に引き上げへ…54円アップ、10月1日にも適用〜 上がり続ける人件費と、ベースアップ評価料という「不確かな原資」にどう備えるか 〜
東京都の最低賃金が、2026年10月にも現在の時給1226円から1280円に引き上げられる見通しです。最低賃金は、パートやアルバイトを含む、原則すべての労働者に最低限支払わなければならない時給です。東京地方最低賃金審議会が今年度は54円引き上げ、1280円にするよう東京労働局に5日、答申しました。東京労働局は今後、必要な手続きを進め、早ければ10月1日から適用される見通しです。54円の引き上げは過去2番目の大きさで、厚生労働省の審議会が示した目安と同じ額で、引き上げ率にすると4.4%です。
CONTENTS
1. 最低賃金の上昇が、クリニック経営に効く理由
この引き上げは、医療機関の経営にも直接影響します。受付・医療事務・看護助手・パート看護師など、時給で働く職員を多く抱えるクリニックでは、10月以降の人件費が確実に増えることになります。
クリニックの人件費は、ごくシンプルに言えば次の関係で膨らんでいきます。
このうち「時給」の下限が、国の制度によって毎年、強制的に引き上げられていく――ここが問題の核心です。特に注意したいのが、この10年で最低賃金が約37%も上がっているという事実です。診療報酬が同じペースで上がってこなかったなかで、人件費だけが継続的に膨らんできた構図があり、この傾向は今後も続く見通しです。
2. 押さえておきたい4つのポイント
① 時給職員の賃金アップ
② 玉突きの賃上げ
③ 月給の常勤職員も要確認
④ 社会保険とのダブルインパクト
3. 「51人以上」の壁は、無縁ではない
最低賃金の引き上げが「時給そのもの」を押し上げるのと同時に、社会保険のルール変更が「保険料の対象となる職員の範囲」を広げます。この2つが2026年10月に重なることが、クリニックにとっての“ダブルインパクト”となります。ここは特に大切なポイントですので、少し長めに記載させていただきます。
まず前提として「106万円の壁」とは何だったのか
これまで、パート職員が社会保険(厚生年金・健康保険)に加入するかどうかは、いわゆる「106万円の壁」(月額賃金8.8万円以上)という賃金要件で線引きされてきました。年収がこの壁の手前に収まるよう、働く時間を自からクリニック側へ調整を申し出ていた職員が多かったのではないでしょうか。
イメージとしては、プールに入るときの「身長◯cm以上」という看板に近いものでした。背が届かない(=賃金が壁に届かない)人はプールに入らなくてよいので、プールを避ける為に、あえて基準を満たさないようにと、多くのパート職員が、加入基準の手前で立ち止まる働き方を選び、「年末が近づくと出勤日を減らしたがる職員が発生する」という、現象の背景にもこの壁が影響していました。
「106万円の壁」が撤廃されて、どうなるのか?
2026年10月からは、この「106万円の壁」(月額賃金8.8万円の要件)が撤廃されます。ポイントを整理すると、変化はおおむね次の3つに集約されます。
① 判定基準が「賃金」から「働く時間」へ変わる 撤廃後は、賃金の多い少ないではなく「所定労働時間が週20時間以上かどうか」が加入の中心的な基準になります(学生でないこと、2か月を超えて雇用される見込みがあること等の要件は残ります)。いわば「106万円の壁」から「週20時間の壁」への移行です。先ほどのプールの例えで言えば、入場の基準が「身長」から「滞在時間」に架け替わるようなもの。これまで賃金という身長で入場条件で免れていた職員も、週20時間以上となれば、加入対象に入ってきます。
② これまで加入を避けていた職員が、新たに対象になる 月8.8万円未満に抑えて働いていた職員でも、週20時間以上のシフトに入っていれば加入対象になります。つまり、就業調整で「壁の手前」に留まっていた層が、まとめて社会保険に組み込まれていくということです。
③ 「働き控え」の理由がひとつ消える(が、新たな壁も生まれる) 賃金の壁がなくなることで、「106万円を超えないように」という理由での就業調整は理屈上なくなります。人手不足のクリニックにとっては、繁忙時に遠慮なくシフトを増やしてもらいやすくなる面もあります。ただし一方で、今度は「週20時間を超えないように」という新しい調整(=新たな壁)が生まれる可能性もある点は、頭に入れておく必要があります。
「うちは50人以下だから関係ない」は、もう通用しない
ここで「賃金要件が撤廃されても、うちは従業員51人未満だから社会保険の適用拡大は関係ない」と思われるかもしれません。しかし、それも数年で通用しなくなります。企業規模の要件そのものが、今後10年かけて段階的に引き下げられ、最終的には撤廃されることが決まっているからです。
- 2027年9月まで:現行どおり、従業員 51人以上 の企業が対象
- 2027年10月から:36人以上 の企業へ拡大
- 2029年10月から:21人以上 の企業へ拡大
- 2032年10月から:11人以上 の企業へ拡大
- 2035年10月から:企業規模要件を完全に撤廃(1人以上、実質すべての企業・事業所(診療所も))
なぜクリニックの負担になるのか ―― 「労使折半」の意味
クリニックにとって見過ごせないのは、一部の医師国保の制度を除き、社会保険料が労使折半――職員負担分と同額を、事業所側も負担するという点です。加入対象の職員が増えれば、その一人ひとりについて会社負担の保険料が新たに発生します。
「労使折半」というのは、職員が払う保険料と同じ額を、雇っている側(クリニック)も一緒に払う仕組みのことです。職員の給与明細から天引きされる保険料の裏側で、実は同額をクリニックがもう一枚支払っている、と考えるとイメージしやすいでしょう。これまで対象外だった職員が加入すれば、その「もう一枚」が職員の人数分だけ、新たに発生していくことになります。
問題は「掛け算」で効いてくること
最低賃金アップで一人あたりの時給(=保険料の算定ベース)が上がり、適用拡大で保険料のかかる職員数が増える。単価と人数の両方が同時に押し上げられるため、人件費比率の高いサービス業――受付・医療事務・看護助手などパート比率の高いクリニックほど、負担の増え方が重くなります。
ここが最も注意すべき点です。負担は「足し算」ではなく「掛け算」で膨らみます。かんたんな例で考えてみましょう。仮に「これまで保険料の対象外だったパート職員が6人」いて、その全員が新たに対象になったとします。しかも最低賃金アップで一人あたりの時給(=保険料の計算のもとになる金額)も上がっている。すると、〈上がった単価〉×〈増えた人数〉のぶんだけ、会社負担の保険料がまとめて乗ってくる――というわけです。1人あたりの増加額が小さく見えても、人数が重なれば年間では無視できない金額になります。
職員側にも「手取りが減る」という論点が生まれる
さらに、職員側にも「手取りが減る」という論点が生まれます。加入によって保険料が天引きされるため、対象になる職員から働き方や給与について相談を受ける場面も増えるでしょう。
たとえば「これまでと同じ時間だけ働いているのに、10月から急に手取りが下がった。どうして?」という質問が、現場の受付や事務から出てくることが予想されます。ここで院長や事務長が制度を説明できないと、職員の不信感や、最悪の場合は離職につながりかねません。「働く時間をどう調整すればいいか」「加入することでどんな保障が増えるのか(将来の年金や傷病手当金など)」を、あらかじめ整理して伝えられる状態にしておくことが大切です。
なお、改正直後の手取り減少をやわらげるため、労使の合意によって事業主が職員負担分の保険料を任意で上乗せ負担できる激変緩和措置の方針も示されています。ただし、詳細は政省令等で定まる部分があり、内容は変わり得るため、最新情報は厚生労働省・日本年金機構の公式サイトで必ずご確認ください。
だからこそ、制度が変わる前の準備が必要
制度が変わる前に、誰が新たに対象になりそうかを把握し、シフトや給与の設計、職員への説明をあらかじめ準備しておくことが必要となります。具体的には、(1) 現在のパート職員の勤務時間を洗い出し、週20時間前後の職員をリストアップする、(2) 対象になった場合の会社負担額を試算する、(3) 本人にとって有利な働き方(時間を増やして加入する/調整する)を一緒に考えられるよう情報を整える――この3点を、10月を待たずに進めておきましょう。
4. ベースアップ評価料 ―― 追い風だが「永続」とは限らない
2024年度の診療報酬改定では、職員の賃上げを支える仕組みとして「ベースアップ評価料」が新設されました。段階的に算定できる点数が引き上げられ、これを原資に職員の給料を上げていく設計になっています。実際、これを活用して賃上げを進めているクリニックも多いでしょう。
ただし、ここには冷静な視点も必要です。ご存じのとおり、診療報酬は2年に1回の改定で大きくルールが変わります。今は算定できているベースアップ評価料も、将来の改定で要件が厳しくなったり、点数が削られたり、あるいは制度そのものの位置づけが変わったりする可能性は否定できません。
ベースアップ評価料を原資にベースアップ(基本給の底上げ)をしてしまうと、仮に将来その原資がなくなっても、一度上げた基本給を下げることは実務上ほぼ不可能です。原資は消えても、人件費だけが残る――これが最も避けたい構図です。
5. ベースアップ評価料は“なくなる前提”で人件費設計がマスト
そこで重要になるのが、人件費の構成と職員のフィー(給与)管理の考え方です。改定に依存する収入は、「なくなってもおかしくない」という前提で扱うのが鉄則です。
整理すると、上がるコストと不確実な収入は、それぞれ性質がまったく異なります。
| 項目 | 性質 | 設計上の扱い方 |
|---|---|---|
| 最低賃金の上昇 | ほぼ確実に、毎年上がる | 固定的に増える前提でコストに織り込む |
| 社会保険の適用拡大 | 時間差で必ず対象が広がる | 数年先の会社負担増を今から試算しておく |
| ベースアップ評価料 | 今後の改定で内容が変わる | 「なくなる前提」で、変動費として職員へ還元 |
Q. ベースアップ評価料が取れているうちに、基本給をどんどん上げても良いのでは?
A. おすすめしません。基本給は一度上げると下げられない「固定費」です。改定で原資が細ったとき、収入だけが減って人件費が高止まりし、経営を直撃します。原資が潤沢なときこそ、賞与・手当という「戻せる形」で還元し、基本給の底上げは慎重に――が原則です。
Q. 最低賃金の対応は、10月の改定額が確定してから動けば十分では?
A. 遅すぎます。10月から適用される以上、9月中には全職員の時給換算・玉突き調整・賃金テーブルの整備を終えている必要があります。改定額を待ってから動くと、給与計算と職員説明に追われ、対応漏れ(=違法状態)が生まれやすくなります。
上がるコストと、不確実な収入の両にらみで
最低賃金は確実に上がり続けます。一方で、診療報酬という収入側は制度改定次第で増減し、確実性がありません。この非対称性こそが、これからのクリニック経営で最も注意すべき点です。「上がるコスト」と「不確実な収入」の両にらみで人件費を設計する。これが、改定のたびに一喜一憂しないための土台になります。都度改定の決定を受けて慌てるのではなく、今のうちに次の3つを進めておくことをおすすめします。
人件費の設計は、コストを削るためだけのものではありません。職員に長く安心して働いてもらい、良い医療を届け続けるためのクリニック経営の基礎づくりとなります。場当たり的に時給を調整し続けると、職員間の賃金バランスが崩れ、モチベーション低下や離職につながりかねません。診療報酬という収入の上限が限られるなかで、人件費という最大のコストをどう設計するか――これは今後のクリニック経営における重要な経営課題です。目を背けずに今からできる対策を早めに手を打っておくことで、確実に経営における競合クリニックとの差が生まれます。
※本記事の最低賃金額・引き上げ率・適用時期は答申段階の情報に基づくものです。正式な適用額・発効日は、東京労働局の公示等でご確認ください。
東京都の最低賃金(正式な適用額・発効日) 東京労働局が、東京都最低賃金の改正額・効力発生日を公示・報道発表します。最終的な適用額と発効日は、必ずこちらでご確認ください。
全国の最低賃金一覧(厚生労働省) 全都道府県の地域別最低賃金額と発効日が一覧・PDFで掲載されています。
